普通志向のお山の子――『町でうわさの天狗の子』考

明けましたおめでとうございます(事後)、きどころです。
本年もごういんまいうぇいさぶかるちゃーをよろしくお願い致します。
2011年最初の記事は、岩本ナオ作『町でうわさの天狗の子』をご紹介いたします。

『町でうわさの天狗の子』は、霊山・緑峰山に住む火伏せの神・康徳坊と呼ばれる天狗を父に持つ女子高校生・刑部秋姫を主人公とした学園ラブコメディ作品です。
主人公・秋姫は、自分に流れる天狗の血やその力を嫌い、普通の女の子として高校生活を過ごすことを夢見ています。
そして、高校受験を経て憧れの男の子・タケルくんと同じ高校に進学し、クラスの女の子とも仲良くなり、時々トラブルに巻き込まれながらも甘く切ない学園生活を送っていきます。

この作品が、一般的に意識される学園モノ少女マンガと一線を画す点は、主人公が普通の女の子ではなく天狗の娘で、本人も自覚できない大きな力を持っている点です。
彼女はとんでもない怪力を持ち、無自覚に発揮される天狗の力で消耗した人間の体を維持する為に大食いになり、本人も意識はしていないけれど将来は大天狗になれる程の神通力を秘めているのです。そして、その力を隠すこともなく、家族、友人、町の人々も秋姫が特別な子供であることを周知し、それが当たり前であるとして彼女に接しています。
セーラームーンに代表される、普通の女の子がある日突然特別な力(戦う力)に目覚め、巨悪と戦う作品においてはそのスーパーヒロインとしての正体を隠すことが多い中、秋姫のように自分の力や出自を自明のものとしておおっぴらにする例は珍しいものです。個人的には、主人公がスーパーヒロインであるにもかかわらず、殆ど誰とも戦わずの自分の平穏な生活を望む、という点が非常に特異であると思うのです。

先ほど触れたように、本作の主人公・秋姫は、町を守る天狗・康徳坊の娘として町の人から「お山の子」と呼ばれ、特別扱いされながら生活していました。
また父・康徳坊や、お山の天狗見習いで幼なじみの瞬からは、修行をして立派な天狗になれ!と言われ続けています。
秋姫本人は、普通の女の子として平凡な、だけど幸せな生活をしたいと願い、天狗になることについては、父のように厳つい姿になるのは嫌だと頑なに拒否しています。
ですが、彼女が普通でありたいと願うほど、自分の力を自覚せざるを得なくなり、秋姫は苦しみます。*
秋姫の周りの天狗見習いや他所のお山の天狗達は、康徳坊の娘で大きな力を持つ太郎坊**として秋姫を認識しています。そして、彼女がなぜ自分の力を受け入れ、天狗になるための修行をしないのか、理解できずにいます。この認識の不一致が、秋姫が抱える大きな悩みの種となるのです。

年寄り天狗だけでなく、秋姫と同世代の天狗見習い達も作中で彼女と特に深く関わってきます。先に挙げたお山の次郎坊・瞬と、京都から緑峰へ修行に来ている天狗の娘・紅葉です。幼なじみである瞬は、何となくではありますが、秋姫に無理をさせると彼女が逃げてしまう(彼女を傷つけてしまう)ということを理解しています。ですが、紅葉は、天狗としての素晴らしい素養を持ちながらも頑なに修行を拒否する秋姫にヤキモキしつつ彼女が修行をきちんとするように策を巡らせます。
後ほど触れることですが、紅葉はパッと見たところ普通の女の子(しかもカワイイ女の子)に見えるように上手に振舞えています。それなのに、天狗に心酔し、秋姫が辛いし厳つくなるから嫌だと逃げ出した修行も積極的にこなしているのです。自分に無い物を完璧なまでに持っている紅葉という”外部と”の軋轢も秋姫にとっての大きな苦悩となります。***

秋姫の苦悩は、彼女の無意識のうちに表出する本質と、彼女が憧れる理想の女の子像の間の溝に起因します。そして、本来の天狗としての自分と、理想の学園生活との間で折り合いをつけ、少しずつ溝を埋めていく様子が作品を通して描かれていくのです。
自分のアイデンティティに苦しめられる秋姫ですが、彼女には彼女が嫌で嫌でたまらない天狗の子としての本質を受け止めてくれる家族と友人が存在しています。外部からの自己承認が少なくとも得られていて、救いがあること、作風が華美過ぎない軽い筆致であることから、重苦しく暗い雰囲気をかもすこともなく、非常にあっさりと彼女の成長が物語られるのです。その点から、少女マンガに触れた経験の少ない方でもすんなり読んでいただけると思います。

さて、ここまでは作品全体を通して描かれるテーマの概要をお話ししてきたわけですが、ここからは二人の天狗の子についての話をしていこうと思います。
先ほども少し触れましたが、この作品には二人の天狗の娘が登場します。自分の天狗の血を認めない主人公・秋姫と、天狗としての自分を受け入れる紅葉の二人です。
彼女たちは非常に明確な対称性を以て描かれています。以下に書きだしてみましょう。

秋姫
・天狗大嫌い
・人里育ち
・天狗の力と女の子としての部分が上手く使い分けられない……女の子として見られないケースもある
・本人の意思とは関係なく、お山の太郎坊としての強い力と地位を持つ
・天然ボケ

紅葉
・天狗大好き、僧正天狗***を目指す
・霊山と人里が融け合う古都・京都烏丸の出身
・天狗の力を上手く隠蔽し、モテモテの女の子として立ちまわる
・僧正天狗を目指すものの、お山での地位は三十八郎坊と低位
・策士肌

こうして比較をしてみると、天狗としての力と位以外は紅葉の方が格段に上回っていることが理解できます。
紅葉は、早くから天狗の娘としての自分を受け入れ、懸命に修行をしてきた、言うならば天狗の先輩です。
天狗の修行については、瞬も兄弟子としての振る舞いはしますが、”同い年の女の子”である点から、紅葉の方が同姓の手本としてより密に秋姫の精神的な/少女としての成長に関わっていくのです。
自分の嫌いな天狗の宿命を望んで受け入れ、その上で見本のような女の子として学園生活を楽しむ紅葉にコンプレックスを持ちながらも交流し、成長していく様子が非常に微笑ましくもあります。
そして完璧ならざる部分が紅葉との対比によって明らかになることで、最初から苦労も無しに特別な力を持つ秋姫が成長し、変わってゆくための伸び代が生まれるのです。

以上に挙げたような事柄から、秋姫の成長を通して語られる物語からは、普通であることの愛おしさ、普通の子として振る舞えることの幸福を読み取ることができます。
そして、周りとの軋轢を真っ向から跳ね返すのではなく、妥協できる点を見つけてぶつかり合いを減らして、外部からの承認を得ることに成功しつつあるように読めます。
70年代少女マンガで、身も心も削り、最悪死ぬことしか方法がなかった自己承認の戦いが、歩み寄りを覚えた、と考える事も出来るでしょうか。
宮迫千鶴が『超少女へ』において”普通の少女”の枠組みからあぶれた”非少女”が身を滅ぼす覚悟をもって自己承認を求めた頃とは、時代は変わったものです。
普通の女の子の枠組みから外れた天狗の子(≒非少女)である主人公が普通であることの幸せを求め、周囲から理解を得ながら幸福な自己実現をしていく、という点で新しい”非少女”マンガの可能性としてこの作品を考えることができるかもしれません。

*側溝に嵌った2トントラックを引き上げる、タケルくんとパーティーの買出しに行ったときに2リットルのペットボトル6本入りの箱を自分で軽々と持ってしまいタケルくんのプライドを傷つける、気持ちがモヤモヤした際に髪の毛が勝手に逆立つ、等

**そのお山の天狗見習いの中で一番強い力を持つ者の敬称。以下、次郎坊、三郎坊……と続く

***単行本7巻収録の第35話「ホワイト・デー」で、紅葉を気に食わないと思う気持ちや、瞬を自分の側から奪ってしまうかもしれないという嫉妬の念から、天狗の力が暴走してしまう。

****お山の最高位の天狗。秋姫の父・康徳坊などが当たる

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